日本には、古来より言霊と言う日本語があるように、言葉にはある一定の諸力があります。もともと、一般的に言葉には、霊的力が宿るとされています。
声に出した言葉が、何らかの影響を与えると言う考え方でよい言葉を発すれば吉事、不吉な言葉を発すれば、凶事が起こると言われていた。
万葉集抜粋:言霊のさきいわうくに『言霊の幸ふ国』 言葉の霊力が幸福をもたらす国
これは、日本国のことを言ったものである。言霊思想は、万物に神が宿るとする思想であり、それは、心の存り様を説くものでもある。また、日本以外にも、言葉は発した存在の容姿を変えてしまうとも言われた。
醜悪な言葉は、容姿を醜悪に・・・艶美な言葉は、容姿を艶美に・・・
遣唐使として唐に渡り帰国した空海は、平安時代(大同元年…806年)真言宗(真言陀羅尼宗)を開きました。真言宗は深層の世界、実相の世界について触れています。
その中に「声字実相義」(しょうじじっそうぎ、819年)というのがあります。
「声発って虚しからず。必ず物の名を表するを号して字というなり。名は必ず体を招く、これを実相と名づく。」
これは、『声がおこるとそのままで必ず物の名を現す、それを字というのである。
名は必ず其の指示する本体と対応するが、それを実相と名づける。』という内容があります。
また、諺に〔名は体を現す〕というのも皆さんご存知でしょう。
現代では、もっと身近なところで言葉の力 を再確認できる。例えば、『お経』とは、各宗教宗派の教えを説くものとも言われている。
また、各宗派の教祖も、当時、文盲の農民に『南無阿弥陀仏』、『南無妙法蓮華経』、他の復唱をそれぞれ説いた。それを言葉にして、発することに意味があるからであろう。そして内容を熟知しなくとも、其の言葉を唱えることで、故人の成仏を願い、先祖を敬う。
『お経』の言葉の力というものの事実は、日本人の潜在意識にまで浸透しているともいえる。言葉の諸力は、複数の種類や意味があるが、少なくとも、言葉を受ける者、発する者に何らかの影響を与えるといえるのではないだろうか。
文字のない時代にも、音を発することである程度、意思の疎通を図ることができ、狩猟などにも使われたと言われている。その後、言葉という整えられたものができ、大いなる時の流れを経て文字が誕生し、文字でも意思の疎通が図れるようになった。
言葉の成立ちについては、特におおくは触れないが、少なくとも、音を使った表現は文字表現より歴史が長く、人々に影響を与えてきたと言える。音は、言葉になり、言葉は音にもなる。
音楽は、人を癒したり、何かの衝動に駆り立てたり、精神にも影響することは現代の研究でも多くの結果が出ている。
これについては、誰もが経験あると思う。音楽を聴いて、ある一場面、景色雰囲気、周囲の音を思い出したり、懐かしんだり、悲しんだり、楽しくなったり、怒りがこみ上げてきたり、テンションがあがったりしたことはあるだろう。
また、さまざまな状況を忘れさせてくれたりもする。音楽は、遥か昔から存在した。
例えば、太鼓等の音楽と幻覚剤に近いものを使用し、トランス状態にし、降神術など、お呪いを行ったとされるシャーマンも、音=音楽の必要性を伝えている。それは、現代のシャーマンと言われる人々にも受け継がれているものである。
他にも、最近は、音楽の種類に〔トランス〕と言うのがあるように、音楽によって、トランス状態になりたがる人々もいるくらいである。
女性にいたっては、より身近なものとして、〔胎教〕等聞きなじみがあると思う。胎教には、母体の精神的安定を促し、クラシック音楽やアルファー波音楽を聞かせることで胎児にもよい影響を与えようとするものがある。
一般的には、胎児には、音楽の概念も音の概念もないはずである。であれば、音楽も音も、ある周波であるからそれを感じているのだろう。
アルファー波音楽という具体的な表現もあるくらいに、ある周波数は胎児によい影響をあたえるということだろう。すなわち、周波=音楽=音は、人の精神に多大な影響を及ぼすことができるものの一つであるといわれている。
色彩も周波で表現できるので、色彩には人間の精神にもたらす影響があるというのも頷ける。聴いたことはないだろうか?
飲み水に音楽や一定の音周波を当てることで、味が変化すると言うことを。水に限らず、液体に一定の周波を当てることで、液体の変化を科学的に証明する研究もある。
人間も人間構成物質の70%近くは水分であるので、色、景色、音、言葉、の周波は、人間の耳からだけでなく、体全体で影響を受けているとも言える。
では、どういう周波が、人間にどのように影響するか、よいのか悪いのかと言う問題になってくる。オーラソーマの研究や、オーラソーマ式カラーセラピーでは、色彩の周波は、人の感情をコントロールすることもあると言っています。それだけでなく、この主張を裏づけする多くの研究がされています。
もちろん、音においても、研究は多く出ている。例えば、〔のろま〕という言葉をある一定期間聞かされることで、〔のろま〕ではなかったにもかかわらず、本人が自分をのろまだというように感じ、それだけでなく、〔のろま〕=〔役立たず〕等、自己否定的思考になり、其の人間の精神に悪影響を及ぼしてしまうということがあるのです。もちろん、逆に、肯定的言葉であれば、肯定的思考にもなるのです。
確かに、これは、刷り込みや、マインドコントロールなど催眠の分野でもあります。周波とはあまり関係ないと思われる方もいるかもしれません。
しかし、催眠の誘導法や技法の中に、声のトーンのあり方があるくらいです。刷り込み等繰り返し聞かされるにしても、それは、音であり、周波であることに変わりはないのです。
つまり、言葉は、音であり音の連続であり、名前も言葉であり、それぞれによって、発するもの、言われるものに影響を与えているはずなのである。そして、どこに、どのように影響するかの全容は不明だが、少なくとも周波によって、精神に影響を及ぼし、思考にまで影響すると言うことは言える。
その名前、姓名に対して呼ばれる方の思考は、ある一定の方向に向き、幼少より変化し続けるでしょう。ある一定の方向とは、呼ばれる名前=周波の影響の仕方のことで、その方向は、無数にある中のひとつである。
毎日、何度も繰り返し呼ばれる名前、あだ名、抽象名、によって、其の方向が違います。幼少からの思考の変化というのが、人格形成に大きく影響し、其の中で個々の性格が決まってくるのではないでしょうか。
言葉=名前=音は人格形成、性格形成においても重要な役割を持っていると言えます。
そして、さまざまな研究の結果、名前を呼ばれることで人格形成に影響を与えるのであれば、どのような人格、性格の方向は、ある程度、姓名、その他抽象名で予測できる部分もあると言えるのです。
どの成長時点においての性格形成がおおよそ完成するのかが問題でしたが、おおよそ、名前における人格影響時期としては、社会的に自立する前後が第一段階のようです。
社会的に自立した後も、影響はありますが、個々によって大きく変わるところです。
結婚後、姓がかわったり、名前ではなく〔奥様〕と呼ばれたり、新しくあだ名がつけられたとき、抽象名〔課長〕等呼ばれ方が変われば、何かしらの影響は出てくるでしょう。
直接陰陽説を使用せず、音を使った姓名判断についての本として、物事の体系整理の重要性を痛感させてもらえたものがあります。
其の著者は、占い師でもなければ、運命研究家でもなく、言うならば、科学者なのです。言葉の発し方を科学的に捉え、その特徴から分析したものです。
この本は、音の重要性を認識する上では、とてもわかりやすくなっており、一読する価値が大いにあると思う。霊感のように、象意的感覚を他者に伝達する方法としては、体系整理ほど伝達できる手段はある意味他に無いのかもしれない。
もちろんそれだけで全てを伝えることも不可能ではあるだろう。
それは、現代の著者の苦悩なのかもしれない。売れるということを前提に書かなければ、出版社もなかなか出版しないであろうから・・・。ここでも、著者名使用許可が出れば詳細をお伝えしたいと思う。
現代の姓名判断といえば、漢字の画数を数える画数タイプが主流となっているかと思います。
それぞれの姓名判断、また流派によって、吉名だったり、凶名だったり、いろいろ悩んだこともあるかと思います。
確かに、文字の画数による吉凶判断は歴史も長く、かなりのデータ収集の結果で、統計学という意味では、信頼性も持ち合わせているかと思います。
しかし、日本で独自の発展を遂げている現在の姓名判断は、〔姓〕の後に続く〔名〕をよりよい名前と言う形で画数等を使ったものです。
姓が決まった状態で、新旧の漢字で名を考えたときに、名となる名前は33画の漢字を使うのが画数的には多く、それを新字体旧字体の時代によって、過去の画数で多いと言われている漢字でも、せいぜい35画ぐらいかと思います。
そして、現在では、平均して〔名〕を構成する文字数は、2から3文字であることから、353434が漢字の組み合わせになるのです。つまり、40460通りの組合せがあります。
そして、姓名を同様にして考えると、1637011600通りです。日本の人口推移を考えてみても、なかなか統計学的な部分では、今後も研究は終わらないものでしょう。
善し悪しは別としても、長年の研究がある流派、方法論者の姓名判断のほうが、統計学的信憑性があるかとも思えます。
姓名判断の基本として言われているのは、5格4運(2運)などもっと多くの数を導き出し若年期、中年期、老年期等の運勢を見るものもあります。
また、数の意味に関しても、それぞれの諸派によって、吉凶の区分も違っています。数意の基準が違う場合もあります。
また、霊導説、新字体、旧字体、と言うように、漢字の画数の数え方にも違いがあります。
どの姓名判断がよいかというのは、一概には言えないような気がします。
例えば、人の習性として、常にどこかで安心感を求めます。そして、なにか悪いことが起これば、それを解決し、安心したいと思うところがあります。
つまり、凶事にたいして、何が原因なのかと言うのを特定し、取り除きたいと言うことです。これは、当然の行為なのですが、本当の原因かそうでないかは、本人の思い込みしだいということになります。
そして、人の凶事の原因として、よくあげられるのが、姓名判断や、所有物、昔から言われている凶事行為、つまり、科学的根拠の少ないものに対して、不安を抱きそれを取り除こうとするのです。
科学的根拠が少ないものがよい悪いではなくて、それに対する陰陽両方の意見が存在すると言うことを知っているからではないでしょうか?
確かに、こういう原因解明のために、上記の不確定要因を取り除くのも悪くないかもしれません。
いや、人として安心感を得ながら生きていく上では、必要なものといえるでしょう。
しかし、これは、古来からの伝承含め教えなど科学的証明をされていない部分が多いジャンルに原因を求めても、また、同じことが繰り返されるのです。
その繰り返しが、多くなれば、人間は、そのようなジャンルに不信感を抱き、以前のような、安心感を得ることは難しくなるでしょう。〔信じるものは救われる〕とは、よくいったものです。聖書の捉え方も、いろいろあり面白いものです。
つまり、何がよくて、何が悪いかというのではなく、あなたが、なにをよいと思うか、よくないと思うかが、大きな問題であるのです。姓名判断の画数の吉凶は、五格4運のバランスでもあるのです。五格4運のひとつだけをとって、よい、悪いと単体で判断することは、なかなか難しいと思われます。
確かに、どこの数字は、人生の何を表している等諸説あるとは思います。
しかし、人生や運命を紐解く時に、生まれ持った部分は凶数だとか、人格部分は吉数だ。と個別に判断し、人生や運命の善し悪しを語れるのだろうか。
ある流派では、五格4運のほかに、吉凶判断の基準となる判断数が多く用いられています。
それを全て、よい方向に、吉数だけで構成するのは、ほぼ不可能でもあります。すなわち、その流派の方も著書で表現しているように、バランスの問題なのです。
専業主婦として、家庭的に生活したい人にとって、勝負強さをもった商売上手な吉数は、本当に、吉なのでしょうか。疑問が残るところでもあります。いや、必ずしも吉数ではないと思います。全て、本人次第という部分も持ち合わせているのです。
最近、日本でも多くの方が風水の本を買い、実践しております。風水にもさまざまな教えがあるようですが、基本的に陰陽五行説にのっとり行われています。
陰陽五行説を簡単に説明すると、陰と陽のバランスの取れた状態がよいとされ、それは、気の流れをよくする時に使われる。
陰が強すぎると、陽のもので陽を強める。もしくは、陰を幾分か取り除く。それによって、陰陽のバランスをとる。その細分化したものに五行(木火土金水)という5つの要素がある。
全てのものは、陰と陽の要素を持ち合わせていて、五行にも分類できる。そして、それぞれ相生、相克の関係にある。其の考え方を陰陽五行説という。
風水でも、時期や状況によって、陰陽のバランスが違うので、住人に対する影響力も違ってくる。
風水を用いて、引越しや模様替えをすることで、部屋の陰陽バランスを変化させるにしても、現状にどういう不満があると言うことを考慮して、ある状況を変え、不満要素を取り除く方法が多く用いられている。
全てにおいて、完璧によい状態を最初から作り上げることは、なかなか難しいものです。家や部屋の風水的思考とは、家のある場所の地形、地脈等立地も考慮に入れるのが一般的ではあります。其の立地探しから、風水で完璧にしようとするのは、現代でも相当な金額がかかり、且つ条件を満たす立地があるか否かすらも不明なのです。
ですから、通常は、現状分析から始めて、その結果住人の意思に反する部分を改善していくという内容になります。上記風水のことを踏まえて、社会や人間を考えてみても、失敗や経験をつむことで、それを改善していくというのは、ある意味必然で当然の行為である。すべて、最初から完璧なものを作り上げるのは、ほぼ不可能なことなのです。
もちろん姓名判断にも同じことが言えます。姓名構成字数、字画、五格4運を全てよい状態にするのは、極めて難解なのです。ですので、姓名判断に凶事原因を求めることは、ある程度どの種類の姓名判断にも可能である。
後は、言い方の問題で、凶事原因を命名したのとは別の流派に求めると、命名した流派の批判から始めるほうが、後々の顧客確保という点において、比較的有効手段になりえると捉えるところもあります。もちろん、命名した流派のところに、凶事の原因が名前にあるから改名して欲しいと頼んでも、必ずしも快く思わないところも少なくないだろう。
だが、凶事原因を解明し改名を勧めるか否かは別としても、を快く相談に乗らないところは、単純に、最初の命名批判、クレームとして捉える部分が先行し、現状自分の流派の向上に前向きであるとはいえないのではないだろうか。
姓名に凶事原因を求める方々には、よくよく考えて欲しいものです。
漢字の象意について述べるときに、漢字の画数の数え方である霊導説は見逃せない部分でもあります。
例えば、霊導説では、漢字の『四』を通常書き順ではなく、4という数字を表現しているものであるから、五画ではなくて四画と捉えるようなものです。
康煕字典に基づいて画数を捉えるのである。『四』は数字の4でもあると言う捉え方は、非常に人間心理と深いつながりがある。
例えば、『苦』を文字として見続ける、あるいは、部屋中に大小壁一面に書く、そこにい続けることで、気分がよくなったというのは、日本人ならまず考えられないだろう。
それは、文字自体の人の精神に対する影響力を考慮に入れているからなのではないだろうか。
『四』に限ったことでなく、漢字の本来の意味を重視した姓名判断も多い、文字の諸力を重視した姓名判断でもあると言える。
しかし、文字の諸力を求めるときに、欠かせないのが文字の象意である。
漢字においては、部首等の組合せで作られているため、多くの象意を含んでいる。
一概に文字の象意を表現するには、漢字字典と国語辞典の倍以上の量を遥かに超えてしまうものである。
単純に象意といっても姓名判断の種類、流派によって、また状況、環境、どの視点から見るものなのか、時代によるもの、国民性によっても、大きく異なっているのも事実です。タロットカードをご存知の方ならわかりやすいと思うが、タロットカードの唯の絵(象徴のかたまり、古代英知の集約、諸説デッキ(カードの種類)によってさまざまあるが、それは後ほど)から聞く内容や状況、カードの配置によっていろいろな答えがでてくることをご存知だろう。タロットカードの解説書が最近多くなった。そして、よい解説書ほど、カードの意味を固定的に表現しているものはなく、感じ取ることの重要性を示している。
ある意味、文字や漢字も同じようなことがいえるのである。センドウ流象音姓名判断とは、音と文字の象意を感じ取ることで、性格的な部分を構成しようというものです。もちろん、補足的に文字の画数的な部分 五格4運も考慮に入れている。
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